埼玉古墳軍ロゴ埼玉古墳軍ブログ     元のHPはこちら→埼玉古墳軍

群馬県藤岡市宿神田地区遺跡群現地説明会 ― その4 K-11号古墳2013年07月25日

北東寄りから。径約11mの円墳。目玉は「一部、裏込め被覆が露出」=石室の安定・防護のために周囲に積んだ石または土まで墳丘の一部が破壊されている、こと。いわば実物大カットモデルである。
K-11号古墳東側

石室はやはり凝灰岩切石と自然石の併用。石室前はまだ掘りすすめられていないようだ。
K-11号古墳正面

あまり上部は残っていないが持ち送りはわかる。奥壁の欠損は墳丘の破壊と関係あるのだろうか。
K-11号古墳石室

南西部の葺石と埴輪列の状態。
K-11号古墳西側埴輪列

墳丘に密着しすぎな感じの埴輪列。こちら側は円筒中心らしい。南東側と北東側には人物や馬、器財などがある。
K-11号古墳西側埴輪列拡大

裏込めが見えている北側の損壊部。今にして思えばこうして細っていたため昔は隣の12・13号とつながって土塁状に見えていたのかと納得。
K-11号古墳北東側

北東側、崩落したような状態の埴輪。中央に筒状に見えるのは靫形埴輪らしい。
K-10号古墳北東部埴輪

参考図とは少し違うが緒らしき造形があることで靫らしきことがうかがえる。
K-11号古墳北東部靫形埴輪

東側埴輪列の一部。細めの円筒が重なるようにして倒れていることから馬形埴輪ではないかと思われる。
K-11号古墳東側埴輪列

群馬県藤岡市宿神田地区遺跡群現地説明会 ― その3 K-10号古墳2013年07月12日

東側の状況。今回公開の範囲では最西端になる。径約10mとされる。一部に葺石が見える。これらのようなほぼ積石塚では葺石と言うより積石の表面とでも言ったほうが良いような気もする。
K-10号古墳東側

羨門脇裾の葺石と埴輪列。一部にすぎないためか直線的に見える。
K-10号古墳南側石積状況

正面。羨門前にまで埴輪列がまわって塞いでいるように見える。追葬を前提にしていないのだろうか。
K-10号古墳正面

玄室は主に凝灰岩切石で羨道付近には自然石が多めのこの群の定番パターン。刀が一振りしか残っていなかったらしい。
K-10号古墳石室

西側埴輪列の一部。先が開いているので朝顔形埴輪か。
K-10号古墳西側埴輪列

北西部のトレンチ。白い土嚢側が古墳。石敷の帯のようなものが見える。今回各古墳の外周施設についてはあまり明らかにされていない(説明資料のイメージ図には周溝が描かれている)が、周堤の一部のようなものか。
K-10号古墳北西トレンチ

北西部の葺石は比較的良く残っている。
K-10号古墳北西石積状況

北東側のかなり北寄りにも埴輪列が残っていた。説明会資料にはK-10とK-11は「石室正面を中心に半周だけ」とあるがどういうことだろうか。まさか鬼門除けでもあるまいに。あるいは本来全周にあったのか。
K-10号古墳北東側

群馬県藤岡市宿神田地区遺跡群現地説明会 ― その2 K-9号古墳2013年07月11日

南西から。今回調査区中では最北端にある。約8mの円墳とされる。石室まわりの積石が残されているのみで、方墳状に見える。
K-9号古墳南西より全景

石室は主に凝灰岩切石を玄室に、自然石を羨道にと使い分けて作られている。配布資料の写真には見えていなかった梱石が見えている。
K-9号古墳正面

南東から。わずかに埴輪片が出たので本来は埴輪があったらしい。
K-9号古墳南東

玄室石材には鑿跡が残る。鉄刀、鉄鏃、ガラス製品などが出た。
K-9号古墳石室正面

側壁の状況。
K-9号古墳石室側壁状況

北東から。奥壁は壁と言うより岩塊。
K-9号古墳北東奥壁頂部

群馬県藤岡市宿神田地区遺跡群現地説明会―その12013年07月08日

 現在宿神田(しゅくじんだ)地区の土地改良事業にともない周辺古墳群の一部の調査がすすんでおり、このたび現地説明会が催された。
 簡単に言えば区画整理をしているわけで、調査後どうなるのかが気にかかる。事業の計画書の概要には「施工時には古墳を避けた計画をし、遺跡群を守る配慮を図る」と記されており我々としてはそれを信じて地元を応援したい。
 また、この古墳群は「三名川古墳群」「神田・三本木古墳群」「美九里地区~号墳」などと呼称が入り乱れてややこしい。群馬県では平成24年度から27年度にかけて古墳総合調査が行われるということでもあり、それによる整理も期待される。

調査区の2012年春頃の様子。当時の細長い土塁状のものは近接した複数の円墳であること、削平された古墳があることなどが明確になった。
2012年時の調査区全景

出土品の一部の展示。刀子・刀・鉄鏃、埴輪の一部、装飾品など。器類が極めて少ないのは整理状況によるものか。
出土遺物展示状況

今回の調査対象は6基で以下のような配置になる。もちろん周辺にはこれら以外にも多数の古墳がある。
配置概要図

北東から見た現在の調査区全景。貴重な平坦地であり、耕作地として有効に利用したいのももっともである。遠景の森や丘にも多数古墳がある。
2013年7月現在の調査区全景

調査区北西近くの高橋塚古墳。全長24mほどながら形の良いトランジスターグラマー(超死語)的前方後円墳。前方部の角も比較的明瞭。
高橋塚古墳全景

石室は見えないとの情報があったが小さく開口していた。墳頂に近すぎるようなので本来封土がもっとあったのかもしれない。
高橋塚古墳後円部石室開口部

石室内部。かなり埋まっている模様。他の円墳と似た材質および構造のようである。
高橋塚古墳石室内部状況

墳頂に露出した奥壁と思われる石材。墳丘は他の円墳のように積石塚状ではないように見える。築造年代に差があるためか。
高橋塚古墳後円部頂露出石材

高橋塚のさらに西に幅の広いトレンチ状の溝があった。道路予定地だろうか。奥に円墳跡の礫床のように見える部分がある。
高橋塚古墳西方トレンチ

以下、追って各古墳を掲載する予定。

茨城県桜川市真壁伝承館歴史資料館2012年09月28日

旧真壁町の歴史民俗資料館で企画展開催中との情報により久々に公式サイトを調べてみた。すると、その建物自体昭和の遺産のようだったかつての歴史民俗資料館は驚くべきウルトラレトロモダンな変貌をとげていたことが判明した。

とりあえず昔の状況。資料館と同じ敷地内だった中央公民館。お祭りの時の拠点になったりしていたようだ。
旧真壁町中央公民館

同じく母子保健センター。この当時既に機能していなかったっぽい。近くにあった「真壁小学校教育発祥の地」の碑は現在も健在。
旧真壁町母子保健センター

旧歴史民俗資料館。玄関前に怪しい石造物の資料などが置かれていて地方の資料館らしい実に良い雰囲気であった。
旧真壁町歴史民俗資料館

そしてこれが2012年建築学会賞に燦然と輝く真壁伝承館。古い町並みを構成する要素を拾い集めて再構成したという感じのものらしい。
真壁伝承館東側

伝承館西側。右が歴史資料館。かつてこの向かい側のお肉屋さんで高校生がコロッケの買い食いをしている暖気な光景を目撃したものだが…。
真壁伝承館歴史資料館

歴史資料館部分の入口。質素というか簡素。公民館・図書館・資料館・ホールの複合施設であるが入口はそれぞれ別で長屋風。
真壁伝承館歴史資料館入口

今回の訪問の目的の企画展ポスター。震災の被害に遭った施設博物館の新治汲古館の救援活動の模様と所蔵資料の一部が公開された。
企画展「新治汲古館の継承」ポスター

真壁氏の旗に描かれた猪がシンボルマーク的に使われている。近年周辺市町村がイノシシの出没に悩まされているのはまた別の話。
真壁伝承館歴史資料館猪絵

中庭の片隅に移築展示される古墳の石棺。伝承館建設前の調査で発見された封土を失った円墳のもの。径14mで周溝と埴輪を伴うとされる。
真壁伝承館内保存石棺

蓋石もきれいに残り人骨まで出たにもかかわらず見過ごしそうなほど表示が小さい。調査結果未整理のためか。古墳軽視でないと祈りたい。
真壁伝承館石棺説明

中庭西から。左の窪みに石棺がある。白壁は漆喰でなく塗装だそうな。屋根も金属といわゆるソーラーパネルだし過度なレトロ的期待は禁物。
真壁伝承館中庭

旧真壁小学校記念碑脇の表示。敷地内には真壁陣屋の遺構の一部が表現されている。ただし古墳石棺は原位置ではないようなので要注意。
真壁伝承館陣屋遺構説明板

水路遺構の表現。小さな遊歩道風になっている。
真壁伝承館水路遺構表示

再び西の資料館側。鋼板パネル付鉄骨ラーメンという、要するに船舶のような特異な構造ゆえ、適当に段違い窓が作れてしまう。主に日が当たる側に貼られた黒い杉板は断熱を兼ねる。交換すれば見栄えの維持や意匠の変更も簡単にできそうで、まるで最新戦車の装甲のようだ。この構造は将来の解体時に余分な瓦礫を出さないことも目指している。この伝統をまといつつ尖りまくった建造物が長い時間のうちにどうなってゆくのか。古墳や町並みとともに末永く見守りたい。
真壁伝承館歴史資料館側全景

埼玉県桶川市楽中遺跡見学会2012年09月01日

 混雑する国道17号線バイパスをさらにバイパスするための「上尾道路」建設にともない調査中の桶川市楽中遺跡の現地見学会が催された。同遺跡は有名な熊野神社古墳の北東近くに在る。未だ調査途中であるが縄文時代と古墳時代の住居跡が複数検出され、古墳の石室の残存部がほぼ明らかになるなどの成果が示された。

第7号住居跡 非常に小型である。
第7号住居跡

第10号住居跡と第9号住居跡 こちら側の浅い部分の10号の後の時代に向こうの深い部分の9号がつくられた。中央左寄りには逆さに埋められた第1号埋甕が見える。
第9号、第10号住居跡

第6号住居跡 柱穴が無い住居跡。
第6号住居跡

第1号溝跡 近世の屋敷の境界溝ではないかとされる。
第1号溝跡

第3号住居跡 柱穴の位置が台形で炉跡が2箇所にある。
第3号住居跡

第2号住居跡 柱穴が浅い。左寄りに炉、右端に貯蔵穴がある
第2号住居跡

樋詰6号墳 正式には川田谷古墳群樋詰支群6号墳。7世紀の16mの円墳。削り残された下部のみが残存。
樋詰6号墳正面

石室前部 砂岩の切石積みの複室構造。全体に小振りで狭そう。
樋詰6号墳石室前門付近から

奥壁から 現状では遺物無しだが、玄室底部の土の中に期待。
樋詰6号墳石室奥壁から

玄室付近 胴張りなど無く直線的な形状。
樋詰6号墳石室玄室付近

石材参考資料 比較のため、各種石材を展示していた。
石室石材種類参考資料展示

住居跡出土品 左端は第5号住居跡のカマド中から出た土玉。
住居跡出土遺物展示

2012年春開花事情2012年04月29日

 2012年は冬の寒さの影響で全国の各種花木の開花が遅れたが我々が訪れる近隣の公園等でもその一端が見られた。

千葉県関宿城博物館に隣接の茨城県五霞町、国土交通省江戸川流頭部中之島公園にあるコブシの大木。例年に比べ、最大でもこの程度にまばらに開花しただけで終わった。
中之島公園のコブシ

咲いている花も既に萎れかけているものもある。
中之島公園のコブシの花

同公園内の桜は遅れはしたものの一応の満開。
中之島公園の桜

茨城県坂東市旧猿島町の逆井城跡公園も例年「さくらまつり」が行われる名所。遺構の規模、保存状況、復原状況も良好。
逆井城二層櫓眺望

満開の桜。逆井城跡公園には蕎麦店もあり、遺構だけの史跡公園とはまた一味違う工夫がなされている。
逆井城の桜

逆井城跡の櫓門と橋。名作アニメ映画「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」のモデルになったとも言われるリアリティーを追求した復原。
逆井城櫓門と橋

茨城県猿島郡境町、鷲塚古墳近況2012年04月15日

「道の駅さかい」近くのショッピングモール駐車場内の半地下に保存されている鷲塚古墳。最近、ショッピングモールの中心のスーパーが営業を停止している状態になり、周囲の荒廃が懸念される。

周囲を埋め立てられた状態で保存されている鷲塚古墳。穴の中にはゴミが散乱している。
最近の鷲塚古墳

説明版にあるように隣接のおたま塚古墳も駐車場内に鉄板で蓋をされた状態で保存されている。
鷲塚古墳説明板

現在、鷲塚古墳の祠は震災の為か、台座からずれた状態。
最近の鷲塚古墳の祠

震災前の状態。
震災前の鷲塚古墳の祠

2002年頃、開発前の鷲塚古墳。
2002年頃の鷲塚古墳

埼玉県さいたま市北区、農研機構生研センター内の塚2012年04月08日

 さいたま市の旧大宮市の陸上自衛隊駐屯地の隣、昔は農業機械化研究所と呼ばれていた所。途中別の名前になったりして現在は独立行政法人農業・生物系特定産業技術研究機構の生物系特定産業技術研究支援センターという呼称になっている。
 例年桜の季節になると一般公開が行われるのだが都合により今年は参加できなかった。別の日にそばを通りかかると敷地内の塚の藪が刈り払われて姿が見えるようになっていた。「市史」にこの敷地内に八百比丘尼の遺跡と言われる二つの塚があるとされる記事があるとの情報もあるが、正体は不明である。

東から。以前から存在は知っていたが墳丘の形が見えたのは初めて。
生研センターの塚

同じく東から少し寄った状態。古墳でもおかしくない。
生研センターの塚

これが昔の姿。当時は畜産関係の供養塚か何かと思っていたのだが。
生研センターの塚昔

群馬県藤岡市、三名川古墳群不明墳2012年04月01日

浅間神社古墳の参道を下って貯水池脇の道を東に進み、さらに分かれ道を南下した藪の中に発見した古墳らしきもの。地形図では神社マークがある付近に相当する。藪ではあるが道が付いている。
三名川古墳群不明墳

藪の古墳からさらに下ると慰霊塔の奥にある河原石が露出している古墳の脇に出た。
三名川古墳群慰霊塔奥の古墳

三名川古墳の工業団地寄りの付近は何やら間際まで埋め立て工事が進んでいた。もしかすると消滅する古墳もあるのかもしれない。
三名川古墳群