群馬県藤岡市宿神田地区遺跡群現地説明会―その1 ― 2013年07月08日
現在宿神田(しゅくじんだ)地区の土地改良事業にともない周辺古墳群の一部の調査がすすんでおり、このたび現地説明会が催された。
簡単に言えば区画整理をしているわけで、調査後どうなるのかが気にかかる。事業の計画書の概要には「施工時には古墳を避けた計画をし、遺跡群を守る配慮を図る」と記されており我々としてはそれを信じて地元を応援したい。
また、この古墳群は「三名川古墳群」「神田・三本木古墳群」「美九里地区~号墳」などと呼称が入り乱れてややこしい。群馬県では平成24年度から27年度にかけて古墳総合調査が行われるということでもあり、それによる整理も期待される。
調査区の2012年春頃の様子。当時の細長い土塁状のものは近接した複数の円墳であること、削平された古墳があることなどが明確になった。
簡単に言えば区画整理をしているわけで、調査後どうなるのかが気にかかる。事業の計画書の概要には「施工時には古墳を避けた計画をし、遺跡群を守る配慮を図る」と記されており我々としてはそれを信じて地元を応援したい。
また、この古墳群は「三名川古墳群」「神田・三本木古墳群」「美九里地区~号墳」などと呼称が入り乱れてややこしい。群馬県では平成24年度から27年度にかけて古墳総合調査が行われるということでもあり、それによる整理も期待される。
調査区の2012年春頃の様子。当時の細長い土塁状のものは近接した複数の円墳であること、削平された古墳があることなどが明確になった。
出土品の一部の展示。刀子・刀・鉄鏃、埴輪の一部、装飾品など。器類が極めて少ないのは整理状況によるものか。
今回の調査対象は6基で以下のような配置になる。もちろん周辺にはこれら以外にも多数の古墳がある。
北東から見た現在の調査区全景。貴重な平坦地であり、耕作地として有効に利用したいのももっともである。遠景の森や丘にも多数古墳がある。
調査区北西近くの高橋塚古墳。全長24mほどながら形の良いトランジスターグラマー(超死語)的前方後円墳。前方部の角も比較的明瞭。
石室は見えないとの情報があったが小さく開口していた。墳頂に近すぎるようなので本来封土がもっとあったのかもしれない。
石室内部。かなり埋まっている模様。他の円墳と似た材質および構造のようである。
墳頂に露出した奥壁と思われる石材。墳丘は他の円墳のように積石塚状ではないように見える。築造年代に差があるためか。
高橋塚のさらに西に幅の広いトレンチ状の溝があった。道路予定地だろうか。奥に円墳跡の礫床のように見える部分がある。
以下、追って各古墳を掲載する予定。
群馬県藤岡市宿神田地区遺跡群現地説明会 ― その2 K-9号古墳 ― 2013年07月11日
群馬県藤岡市宿神田地区遺跡群現地説明会 ― その3 K-10号古墳 ― 2013年07月12日
東側の状況。今回公開の範囲では最西端になる。径約10mとされる。一部に葺石が見える。これらのようなほぼ積石塚では葺石と言うより積石の表面とでも言ったほうが良いような気もする。
羨門脇裾の葺石と埴輪列。一部にすぎないためか直線的に見える。
正面。羨門前にまで埴輪列がまわって塞いでいるように見える。追葬を前提にしていないのだろうか。
玄室は主に凝灰岩切石で羨道付近には自然石が多めのこの群の定番パターン。刀が一振りしか残っていなかったらしい。
西側埴輪列の一部。先が開いているので朝顔形埴輪か。
北西部のトレンチ。白い土嚢側が古墳。石敷の帯のようなものが見える。今回各古墳の外周施設についてはあまり明らかにされていない(説明資料のイメージ図には周溝が描かれている)が、周堤の一部のようなものか。
北東側のかなり北寄りにも埴輪列が残っていた。説明会資料にはK-10とK-11は「石室正面を中心に半周だけ」とあるがどういうことだろうか。まさか鬼門除けでもあるまいに。あるいは本来全周にあったのか。
群馬県藤岡市宿神田地区遺跡群現地説明会 ― その4 K-11号古墳 ― 2013年07月25日
石室はやはり凝灰岩切石と自然石の併用。石室前はまだ掘りすすめられていないようだ。
あまり上部は残っていないが持ち送りはわかる。奥壁の欠損は墳丘の破壊と関係あるのだろうか。
南西部の葺石と埴輪列の状態。
墳丘に密着しすぎな感じの埴輪列。こちら側は円筒中心らしい。南東側と北東側には人物や馬、器財などがある。
裏込めが見えている北側の損壊部。今にして思えばこうして細っていたため昔は隣の12・13号とつながって土塁状に見えていたのかと納得。
北東側、崩落したような状態の埴輪。中央に筒状に見えるのは靫形埴輪らしい。
参考図とは少し違うが緒らしき造形があることで靫らしきことがうかがえる。
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