埼玉県さいたま市北区、農研機構生研センター内の塚 ― 2012年04月08日
さいたま市の旧大宮市の陸上自衛隊駐屯地の隣、昔は農業機械化研究所と呼ばれていた所。途中別の名前になったりして現在は独立行政法人農業・生物系特定産業技術研究機構の生物系特定産業技術研究支援センターという呼称になっている。
例年桜の季節になると一般公開が行われるのだが都合により今年は参加できなかった。別の日にそばを通りかかると敷地内の塚の藪が刈り払われて姿が見えるようになっていた。「市史」にこの敷地内に八百比丘尼の遺跡と言われる二つの塚があるとされる記事があるとの情報もあるが、正体は不明である。
東から。以前から存在は知っていたが墳丘の形が見えたのは初めて。
例年桜の季節になると一般公開が行われるのだが都合により今年は参加できなかった。別の日にそばを通りかかると敷地内の塚の藪が刈り払われて姿が見えるようになっていた。「市史」にこの敷地内に八百比丘尼の遺跡と言われる二つの塚があるとされる記事があるとの情報もあるが、正体は不明である。
東から。以前から存在は知っていたが墳丘の形が見えたのは初めて。
同じく東から少し寄った状態。古墳でもおかしくない。
これが昔の姿。当時は畜産関係の供養塚か何かと思っていたのだが。
群馬県藤岡市、三名川古墳群不明墳 ― 2012年04月01日
浅間神社古墳の参道を下って貯水池脇の道を東に進み、さらに分かれ道を南下した藪の中に発見した古墳らしきもの。地形図では神社マークがある付近に相当する。藪ではあるが道が付いている。
藪の古墳からさらに下ると慰霊塔の奥にある河原石が露出している古墳の脇に出た。
三名川古墳の工業団地寄りの付近は何やら間際まで埋め立て工事が進んでいた。もしかすると消滅する古墳もあるのかもしれない。
茨城県かすみがうら市、オオタストア閉店 ― 2012年03月24日
朝のうちに雨が止むという予報を信じて出かけたら、むしろ現地のほうが降りが激しく、古墳探訪から近隣の直売所などのお店めぐりになってしまった。
かすみがうら市深谷地区のオオタストアーは旧出島村探訪の時の補給や休憩の拠点として何度もお世話になったのだが、2012年3月末を以って完全閉店になるということである。おそらく今回で見納めということで別れを惜しんできた。
壁面の愉快な絵。普通の食料品や雑貨の他、本、酒、薬、金物、衣類などなんでも売っていて、食堂、ガソリンスタンドまで付属している便利な店だった。我々は通りすがりの利用程度であるけれど、地元の皆さんはずいぶん困るのではないか。
かすみがうら市深谷地区のオオタストアーは旧出島村探訪の時の補給や休憩の拠点として何度もお世話になったのだが、2012年3月末を以って完全閉店になるということである。おそらく今回で見納めということで別れを惜しんできた。
壁面の愉快な絵。普通の食料品や雑貨の他、本、酒、薬、金物、衣類などなんでも売っていて、食堂、ガソリンスタンドまで付属している便利な店だった。我々は通りすがりの利用程度であるけれど、地元の皆さんはずいぶん困るのではないか。
オオタストア駐車場の片隅にある問題の施設。このドアに秘密が…。
お茶目。
最後のオオタストア弁当。安くてたっぷり。
おやつやらおつまみやらを買い漁り最後の投資。
帰り道、だんだん雨があがってきて、関宿城に立ち寄るころにはこんな天気に。
千葉県横芝光町、寺方古墳群 ― 2012年03月18日
千葉県の旧横芝町の坂田にある坂田城跡は中世城郭遺構が良く保存されている。また一帯は国内屈指の規模の梅林として知られ、「梅まつり」など各種イベントも盛んに催されている。
この時は古墳目的で訪れたのではなかったのだが、日頃の習性のせいか、古墳らしきものを幾つか発見することとなった。
丘陵を利用した城郭の平坦な郭内が梅林として利用されている。
この時は古墳目的で訪れたのではなかったのだが、日頃の習性のせいか、古墳らしきものを幾つか発見することとなった。
丘陵を利用した城郭の平坦な郭内が梅林として利用されている。
敷地は広大でのんびり一周すると優に1時間はかかる。
小型の前方後円墳らしきもの。丘陵の北部、城郭の域外の梅林にある。寺方古墳群(20数基、殆ど消滅)の一部と思われる。
付近の地表には土器片が散見された。
さらに付近の道の脇に怪しい盛り上がりを発見。
林の中に入るとこのような円墳らしきものが見られた。
プリンターPM-D750整備 ― 2012年03月03日
9年近く古墳写真整理のためのサムネイルプリントなどに愛用してきたインクジェットプリンターのエプソンPM-D750。各種メモリーカードリーダー内蔵で本体のみでもプリント可能が売りだった。最近、「内部の調整が必要です」云々のエラーメッセージを出すようになった。調べて見ると廃インクを吸収させる部分が満杯になった頃を見計らって出るものらしい。ソフト的なメッセージの解除自体は簡単なのだが吸収体が溢れるのもまずい。しかしメーカーのサービス期間は終わっているので自力で交換を試みた。
分解・再組み立てはある程度機械いじりに慣れた人でないと難しいと思われるので、もし真似なさる方がいたとしても完全自己責任でお願いしたい。
分解開始前にヘッドをインクカートリッジ交換位置にしてから電源プラグを強制的に抜く。とりあえずフタを外して上部外装を外すためのツメ位置を探る。
分解・再組み立てはある程度機械いじりに慣れた人でないと難しいと思われるので、もし真似なさる方がいたとしても完全自己責任でお願いしたい。
分解開始前にヘッドをインクカートリッジ交換位置にしてから電源プラグを強制的に抜く。とりあえずフタを外して上部外装を外すためのツメ位置を探る。
上部外装を外した状態。コントロールパネル部は一本のフラットケーブルとカードコネクタで接続されている。
メイン外装を外した状態。この後中央上の給紙部を取り外す。万一のインク漏れに備え、床には新聞紙やビニールなどを敷く。
給紙部を外した状態。ここまで分解するためには通常のドライバーの他に直角に曲がっていて狭い所に使えるオフセットドライバーが必要。
メカ部を外すのに制御ユニットは邪魔なので各種コネクタを抜く。ピン数などがパラパラなので適当に外しても後で再び挿す時にも迷わなかった。
メカ部を外して廃インク吸収パッド(黒いもの)が見えた状態。本体底部のかなりの面積及び体積を占めている。
パッドを水洗いしてみた。が、洗えど洗えど水は真っ黒。手も「ナ・ン・ジャ・コ・リャー!!」な状態に。
パッドは厚いフェルト状のものだった。洗い終わってもこの程度で、しかもぺったんこになってしまったので再利用はやめることにした。
空の状態の吸収体装着部。楽に大きな弁当箱ぐらいの容積がある。左下隅にヘッドのホームポジション付近からパイプが来ている。
代替パッドは天ぷら油用のものを使用。パイプ経由だけでなくフチ無し印刷などで溢れたインクを吸い取る必要もあるので満遍なく詰める。
ネジは形状ごとに分けながら分解したが面倒なので特に元の場所も記録しなかったら組み立て後に2本余ってしまった。
本体背面の、丁度吸収体にパイプが来ている所付近に謎の取り外せる蓋がある。吸収具合を確認するためのものなのだろうか。
給紙部を組付け、各種コネクタを仮接続してテストプリント。給紙部の取り付け具合の調整による紙送りの最適化に意外に手間取った。
この後、2本のネジは余りはしたが再組み立てに成功し、問題なく動作している。まあ、今時はカラープリンタも大昔から比べれば夢のように安価であるが、やはり大昔にモノクロでせいぜい24ドットのインパクトプリンタにン十万円ものお布施を支払ってきたオジサンとしては意地でもケチって直したかったのであった。
栃木県各企画展巡行 ― 2012年02月26日
本日は雨で屋外活動困難のためちょうど古墳関係の企画展がまとまっていた栃木県に赴いた。
旧小川町、現那珂川町の那須官衙遺跡エリアの真っ只中に建つなす風土記の丘資料館小川館。数回訪れているが雪は初めてである。「栃木の遺跡-最近の発掘調査の成果から-」開催中。古墳では首長原古墳の遺物などが見られた。
旧小川町、現那珂川町の那須官衙遺跡エリアの真っ只中に建つなす風土記の丘資料館小川館。数回訪れているが雪は初めてである。「栃木の遺跡-最近の発掘調査の成果から-」開催中。古墳では首長原古墳の遺物などが見られた。
宇都宮市竹下町の飛山城史跡公園のとびやま歴史体験館。「笹塚古墳とその時代-下毛野の成立を考える-」開催中。円筒埴輪の透かし穴脇に彫られた線刻が印象的であった。季節の展示の吊るし雛もかわいらしかった。悪天候につき城跡見学はまた次回に。
宇都宮市姿川地区市民センター。「掘り出された姿川の歴史展」開催中。古墳関係の展示は塚山古墳などが中心。近代の研究者などが記した文献などの展示も良かったが、図録が無いのが残念。
今回の企画は県あるいは市の機関ではなく、「姿川地区まちづくり協議会」という地域の団体の主催であった。そのせいか非常に来場者も多く盛況で、いつも貸し切り状態の企画展見学に慣れていた我々も目を回すほどであった。
埼玉県行田市、鉄砲山古墳現地説明会 ― 2012年02月19日
保存整備事業が進むさきたま古墳群の鉄砲山古墳群の発掘調査現地説明会が催行された。大きさは群中3番目であるがフツーの地味な古墳かと思いきや、掘って見たらやっぱり他に例のない特徴が見出された。
埴輪列の一部が発見された東側くびれ部のトレンチ。中央にミラーがあってそこに映っているのを見るようになっていたのだがあまり見えない。
埴輪列の一部が発見された東側くびれ部のトレンチ。中央にミラーがあってそこに映っているのを見るようになっていたのだがあまり見えない。
後円部北端付近のトレンチ。杭は昭和初期の文部省のもの。その上付近が今回この古墳のみに発見された墳裾に貼られた硬い粘土の部分。目的は不明とのこと。私見であるが、これは築造予定地を示すためにあらかじめ裾部だけ作っておいたものではないだろうか。とすれば奥の山古墳と接する部分が遠慮し合っているように見えることの説明になるかもしれない。
公園内の遊歩道にあったあまり役に立ってなさそうだった照明器具がトイレの脇のほうの目立たない所に片付けられていた。
公園内の案内板がいつの間にか新しいものに替えられていた。確か古いものは長年にわたって愛宕山古墳の向きが逆になっていたはずだが有耶無耶にされてしまったようだ。
これが証拠の旧案内板の図。誰にも指摘されなかったのだろうか。
現説後、資料館の企画展とリニューアルされた常設展示を見た後は近くの某食堂でフライやきそばで昼食。このお店にはかつてクロちゃんという看板犬がいたのだが数年前にお星さまに…。いわゆるハインドカラーのハスキーの血が入ったらしき子だがなぜか「クロ」ちゃんだった。
千葉県富津市、内裏塚古墳群西谷古墳現地説明会 ― 2012年02月04日
当方としては珍しく電車でのアプローチ。終了後、群内一周を敢行という強行軍の結果、へとへとの一日であった。
周溝有り、埴輪葺石無しの円墳。
周溝有り、埴輪葺石無しの円墳。
ざっくりとした房州石を積んだ狭長な横穴式石室。
天井石の一部が残存。
今回は道路建設による記録保存のための調査ということだった。ということはいずれ削平されることになる。しかし、内裏塚古墳群としては現説は非常に稀ということであった。見た目は派手だが内容があまり良く知られていない感のある同群を理解する一助になれば良いのだが。
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