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群馬県藤岡市宿神田地区遺跡群現地説明会 ― その2 K-9号古墳2013年07月11日

南西から。今回調査区中では最北端にある。約8mの円墳とされる。石室まわりの積石が残されているのみで、方墳状に見える。
K-9号古墳南西より全景

石室は主に凝灰岩切石を玄室に、自然石を羨道にと使い分けて作られている。配布資料の写真には見えていなかった梱石が見えている。
K-9号古墳正面

南東から。わずかに埴輪片が出たので本来は埴輪があったらしい。
K-9号古墳南東

玄室石材には鑿跡が残る。鉄刀、鉄鏃、ガラス製品などが出た。
K-9号古墳石室正面

側壁の状況。
K-9号古墳石室側壁状況

北東から。奥壁は壁と言うより岩塊。
K-9号古墳北東奥壁頂部

群馬県藤岡市宿神田地区遺跡群現地説明会―その12013年07月08日

 現在宿神田(しゅくじんだ)地区の土地改良事業にともない周辺古墳群の一部の調査がすすんでおり、このたび現地説明会が催された。
 簡単に言えば区画整理をしているわけで、調査後どうなるのかが気にかかる。事業の計画書の概要には「施工時には古墳を避けた計画をし、遺跡群を守る配慮を図る」と記されており我々としてはそれを信じて地元を応援したい。
 また、この古墳群は「三名川古墳群」「神田・三本木古墳群」「美九里地区~号墳」などと呼称が入り乱れてややこしい。群馬県では平成24年度から27年度にかけて古墳総合調査が行われるということでもあり、それによる整理も期待される。

調査区の2012年春頃の様子。当時の細長い土塁状のものは近接した複数の円墳であること、削平された古墳があることなどが明確になった。
2012年時の調査区全景

出土品の一部の展示。刀子・刀・鉄鏃、埴輪の一部、装飾品など。器類が極めて少ないのは整理状況によるものか。
出土遺物展示状況

今回の調査対象は6基で以下のような配置になる。もちろん周辺にはこれら以外にも多数の古墳がある。
配置概要図

北東から見た現在の調査区全景。貴重な平坦地であり、耕作地として有効に利用したいのももっともである。遠景の森や丘にも多数古墳がある。
2013年7月現在の調査区全景

調査区北西近くの高橋塚古墳。全長24mほどながら形の良いトランジスターグラマー(超死語)的前方後円墳。前方部の角も比較的明瞭。
高橋塚古墳全景

石室は見えないとの情報があったが小さく開口していた。墳頂に近すぎるようなので本来封土がもっとあったのかもしれない。
高橋塚古墳後円部石室開口部

石室内部。かなり埋まっている模様。他の円墳と似た材質および構造のようである。
高橋塚古墳石室内部状況

墳頂に露出した奥壁と思われる石材。墳丘は他の円墳のように積石塚状ではないように見える。築造年代に差があるためか。
高橋塚古墳後円部頂露出石材

高橋塚のさらに西に幅の広いトレンチ状の溝があった。道路予定地だろうか。奥に円墳跡の礫床のように見える部分がある。
高橋塚古墳西方トレンチ

以下、追って各古墳を掲載する予定。

埼玉県桶川市楽中遺跡見学会2012年09月01日

 混雑する国道17号線バイパスをさらにバイパスするための「上尾道路」建設にともない調査中の桶川市楽中遺跡の現地見学会が催された。同遺跡は有名な熊野神社古墳の北東近くに在る。未だ調査途中であるが縄文時代と古墳時代の住居跡が複数検出され、古墳の石室の残存部がほぼ明らかになるなどの成果が示された。

第7号住居跡 非常に小型である。
第7号住居跡

第10号住居跡と第9号住居跡 こちら側の浅い部分の10号の後の時代に向こうの深い部分の9号がつくられた。中央左寄りには逆さに埋められた第1号埋甕が見える。
第9号、第10号住居跡

第6号住居跡 柱穴が無い住居跡。
第6号住居跡

第1号溝跡 近世の屋敷の境界溝ではないかとされる。
第1号溝跡

第3号住居跡 柱穴の位置が台形で炉跡が2箇所にある。
第3号住居跡

第2号住居跡 柱穴が浅い。左寄りに炉、右端に貯蔵穴がある
第2号住居跡

樋詰6号墳 正式には川田谷古墳群樋詰支群6号墳。7世紀の16mの円墳。削り残された下部のみが残存。
樋詰6号墳正面

石室前部 砂岩の切石積みの複室構造。全体に小振りで狭そう。
樋詰6号墳石室前門付近から

奥壁から 現状では遺物無しだが、玄室底部の土の中に期待。
樋詰6号墳石室奥壁から

玄室付近 胴張りなど無く直線的な形状。
樋詰6号墳石室玄室付近

石材参考資料 比較のため、各種石材を展示していた。
石室石材種類参考資料展示

住居跡出土品 左端は第5号住居跡のカマド中から出た土玉。
住居跡出土遺物展示

埼玉県行田市、鉄砲山古墳現地説明会2012年02月19日

 保存整備事業が進むさきたま古墳群の鉄砲山古墳群の発掘調査現地説明会が催行された。大きさは群中3番目であるがフツーの地味な古墳かと思いきや、掘って見たらやっぱり他に例のない特徴が見出された。

 埴輪列の一部が発見された東側くびれ部のトレンチ。中央にミラーがあってそこに映っているのを見るようになっていたのだがあまり見えない。
鉄砲山古墳円筒埴輪検出トレンチ

 後円部北端付近のトレンチ。杭は昭和初期の文部省のもの。その上付近が今回この古墳のみに発見された墳裾に貼られた硬い粘土の部分。目的は不明とのこと。私見であるが、これは築造予定地を示すためにあらかじめ裾部だけ作っておいたものではないだろうか。とすれば奥の山古墳と接する部分が遠慮し合っているように見えることの説明になるかもしれない。
鉄砲山古墳後円部北端トレンチ

 公園内の遊歩道にあったあまり役に立ってなさそうだった照明器具がトイレの脇のほうの目立たない所に片付けられていた。
さきたま古墳公園とある片隅の照明器具群

 公園内の案内板がいつの間にか新しいものに替えられていた。確か古いものは長年にわたって愛宕山古墳の向きが逆になっていたはずだが有耶無耶にされてしまったようだ。
さきたま古墳公園新案内図

 これが証拠の旧案内板の図。誰にも指摘されなかったのだろうか。
さきたま古墳公園旧案内図

 現説後、資料館の企画展とリニューアルされた常設展示を見た後は近くの某食堂でフライやきそばで昼食。このお店にはかつてクロちゃんという看板犬がいたのだが数年前にお星さまに…。いわゆるハインドカラーのハスキーの血が入ったらしき子だがなぜか「クロ」ちゃんだった。
ありし日のクロちゃん

茨城県ひたちなか市、十五郎穴横穴墓群館出35号墓現地見学会2012年02月11日

 現在調査継続中の同群であるが、未盗掘でしかも群中最大級の規模の35号墓の調査が進み、この度見学会が催された。
 蕨手刀や装飾付の刀子などの珍しい遺物が出るなど特色が多く、7体以上と見られる遺骨のDNA調査など、今後の研究の進展が期待される。
 ただし、非常に残念なことに、今回特に理由の説明も無く発掘現場の撮影が禁止されていた。我々が今までに参加した説明会では初めてのことである。現場が狭い等の制約があったのだろうが、人の誘導等を工夫してもらいたかった。
 現場は従来から見えていた横穴群の南方、やや斜面を登った所にあり、三つの横穴墓が見られるようになっていた。その中の最も西寄りが35号墓で、床面が他の二基よりも数段深く掘り下げられた位置にあった。周囲の土を除去すれば、従来から開口している横穴の下部のものとあまり変わらない高さということになるかもしれない。
 見学現場のさらに南方には試掘トレンチが並んでおり、今後も新しい横穴が発見される可能性がありそうである。

虎塚古墳現況 相変わらず厳重に封印された石室も健在。
虎塚古墳近影

十五郎穴横穴墓群指渋支群 一部シートが外されていた。
十五郎横穴墓群指渋支群

十五郎穴横穴墓群館出支群 特に震災の影響は無さそうだった。
開口済十五郎横穴墓群

説明会資料写真 右列中段の下が問題の正倉院御物と酷似の刀子。
35号墓説明会掲示写真

虎塚2号墳 この真南が35号墓で、代表墳丘の可能性が高まったか。
虎塚2号墳

千葉県富津市、内裏塚古墳群西谷古墳現地説明会2012年02月04日

 当方としては珍しく電車でのアプローチ。終了後、群内一周を敢行という強行軍の結果、へとへとの一日であった。

周溝有り、埴輪葺石無しの円墳。

ざっくりとした房州石を積んだ狭長な横穴式石室。

天井石の一部が残存。

 今回は道路建設による記録保存のための調査ということだった。ということはいずれ削平されることになる。しかし、内裏塚古墳群としては現説は非常に稀ということであった。見た目は派手だが内容があまり良く知られていない感のある同群を理解する一助になれば良いのだが。