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茨城県桜川市真壁伝承館歴史資料館2012年09月28日

旧真壁町の歴史民俗資料館で企画展開催中との情報により久々に公式サイトを調べてみた。すると、その建物自体昭和の遺産のようだったかつての歴史民俗資料館は驚くべきウルトラレトロモダンな変貌をとげていたことが判明した。

とりあえず昔の状況。資料館と同じ敷地内だった中央公民館。お祭りの時の拠点になったりしていたようだ。
旧真壁町中央公民館

同じく母子保健センター。この当時既に機能していなかったっぽい。近くにあった「真壁小学校教育発祥の地」の碑は現在も健在。
旧真壁町母子保健センター

旧歴史民俗資料館。玄関前に怪しい石造物の資料などが置かれていて地方の資料館らしい実に良い雰囲気であった。
旧真壁町歴史民俗資料館

そしてこれが2012年建築学会賞に燦然と輝く真壁伝承館。古い町並みを構成する要素を拾い集めて再構成したという感じのものらしい。
真壁伝承館東側

伝承館西側。右が歴史資料館。かつてこの向かい側のお肉屋さんで高校生がコロッケの買い食いをしている暖気な光景を目撃したものだが…。
真壁伝承館歴史資料館

歴史資料館部分の入口。質素というか簡素。公民館・図書館・資料館・ホールの複合施設であるが入口はそれぞれ別で長屋風。
真壁伝承館歴史資料館入口

今回の訪問の目的の企画展ポスター。震災の被害に遭った施設博物館の新治汲古館の救援活動の模様と所蔵資料の一部が公開された。
企画展「新治汲古館の継承」ポスター

真壁氏の旗に描かれた猪がシンボルマーク的に使われている。近年周辺市町村がイノシシの出没に悩まされているのはまた別の話。
真壁伝承館歴史資料館猪絵

中庭の片隅に移築展示される古墳の石棺。伝承館建設前の調査で発見された封土を失った円墳のもの。径14mで周溝と埴輪を伴うとされる。
真壁伝承館内保存石棺

蓋石もきれいに残り人骨まで出たにもかかわらず見過ごしそうなほど表示が小さい。調査結果未整理のためか。古墳軽視でないと祈りたい。
真壁伝承館石棺説明

中庭西から。左の窪みに石棺がある。白壁は漆喰でなく塗装だそうな。屋根も金属といわゆるソーラーパネルだし過度なレトロ的期待は禁物。
真壁伝承館中庭

旧真壁小学校記念碑脇の表示。敷地内には真壁陣屋の遺構の一部が表現されている。ただし古墳石棺は原位置ではないようなので要注意。
真壁伝承館陣屋遺構説明板

水路遺構の表現。小さな遊歩道風になっている。
真壁伝承館水路遺構表示

再び西の資料館側。鋼板パネル付鉄骨ラーメンという、要するに船舶のような特異な構造ゆえ、適当に段違い窓が作れてしまう。主に日が当たる側に貼られた黒い杉板は断熱を兼ねる。交換すれば見栄えの維持や意匠の変更も簡単にできそうで、まるで最新戦車の装甲のようだ。この構造は将来の解体時に余分な瓦礫を出さないことも目指している。この伝統をまといつつ尖りまくった建造物が長い時間のうちにどうなってゆくのか。古墳や町並みとともに末永く見守りたい。
真壁伝承館歴史資料館側全景

茨城県猿島郡境町、鷲塚古墳近況2012年04月15日

「道の駅さかい」近くのショッピングモール駐車場内の半地下に保存されている鷲塚古墳。最近、ショッピングモールの中心のスーパーが営業を停止している状態になり、周囲の荒廃が懸念される。

周囲を埋め立てられた状態で保存されている鷲塚古墳。穴の中にはゴミが散乱している。
最近の鷲塚古墳

説明版にあるように隣接のおたま塚古墳も駐車場内に鉄板で蓋をされた状態で保存されている。
鷲塚古墳説明板

現在、鷲塚古墳の祠は震災の為か、台座からずれた状態。
最近の鷲塚古墳の祠

震災前の状態。
震災前の鷲塚古墳の祠

2002年頃、開発前の鷲塚古墳。
2002年頃の鷲塚古墳

茨城県小美玉市(旧小川町)、大塚古墳他2012年03月11日

古墳探訪業界では高難度古墳が多いことでも有名(?)な旧小川町。その中のいくつかをご紹介。

大塚古墳 市街地に近い中延にあるが進入路が見つからないので当たりを付けた藪の脇の急斜面を強襲して発見。到達してみれば意外なことに墳頂に立派な標柱のある大円墳だった。径43mとのこと。下は全体なのだが藪で…、まあ何となくお察しください。
大塚古墳墳頂

大塚古墳全体


幡谷古墳 左が権現塚古墳のある丘で、右の丘のちょうど対称的な位置にある。大型古墳があってもおかしくない立地であるが径8m高2mの小円墳である。
幡谷古墳権現塚古墳遠景
幡谷古墳付近はかつてのニュータウン予定地風の地域で、一部に廃屋も見られた。古墳めぐりをしていると霞ヶ浦周辺には同様のパブルの夢の跡が多いことがわかる。
幡谷古墳付近
幡谷古墳本体。実はすぐ近くまでニュータウンの舗装路が来ているのだがそこからは藪に阻まれて見えない。少し先から藪の中を戻ってからようやく発見した。
幡谷古墳

芹沢境古墳 行方市旧玉造町との境界近くの倉数地内、すぐ西に梶無川が流れる丘にある。埋蔵文化財分布調査報告書によると「全長約15m高さ約1m」で形状不詳とされる。周囲はシイタケ栽培場になっている。
芹沢境古墳全体
芹沢境古墳墳頂。「棺室に使用されたと思われる粘板岩の平らな石が露出している」とはこれらの石のことらしい。
芹沢境古墳墳頂

茨城県ひたちなか市、十五郎穴横穴墓群館出35号墓現地見学会2012年02月11日

 現在調査継続中の同群であるが、未盗掘でしかも群中最大級の規模の35号墓の調査が進み、この度見学会が催された。
 蕨手刀や装飾付の刀子などの珍しい遺物が出るなど特色が多く、7体以上と見られる遺骨のDNA調査など、今後の研究の進展が期待される。
 ただし、非常に残念なことに、今回特に理由の説明も無く発掘現場の撮影が禁止されていた。我々が今までに参加した説明会では初めてのことである。現場が狭い等の制約があったのだろうが、人の誘導等を工夫してもらいたかった。
 現場は従来から見えていた横穴群の南方、やや斜面を登った所にあり、三つの横穴墓が見られるようになっていた。その中の最も西寄りが35号墓で、床面が他の二基よりも数段深く掘り下げられた位置にあった。周囲の土を除去すれば、従来から開口している横穴の下部のものとあまり変わらない高さということになるかもしれない。
 見学現場のさらに南方には試掘トレンチが並んでおり、今後も新しい横穴が発見される可能性がありそうである。

虎塚古墳現況 相変わらず厳重に封印された石室も健在。
虎塚古墳近影

十五郎穴横穴墓群指渋支群 一部シートが外されていた。
十五郎横穴墓群指渋支群

十五郎穴横穴墓群館出支群 特に震災の影響は無さそうだった。
開口済十五郎横穴墓群

説明会資料写真 右列中段の下が問題の正倉院御物と酷似の刀子。
35号墓説明会掲示写真

虎塚2号墳 この真南が35号墓で、代表墳丘の可能性が高まったか。
虎塚2号墳

茨城県美浦村、木原清月古墳群1号墳2012年01月21日

 赤い鳥居のある2号墳よりも藪の奥にあるはずが見つからず、地形図に描かれた送電線との位置関係から推定して藪に突入の末にようやく発見。サイズなども2号墳と同程度。墳丘上を道が横切っていた。後から見ると送電線の鉄塔のメンテナンスの為の道が続いていて、そちらから入れば楽だったことがわかってヤレヤレ。
 近くに送電線がある時はまずそれから位置を測るのは古墳探索の基本であったはずが忘れていたのを反省。 
木原清月1号墳

 2号墳に至る道の鉄塔。この度の震災でも案外鉄塔というのは倒れなかった。日頃あまり気にしていないが重要なインフラであることが身に染みた1年だった。
テキサス江戸崎線2号鉄塔