埼玉県桶川市楽中遺跡見学会 ― 2012年09月01日
混雑する国道17号線バイパスをさらにバイパスするための「上尾道路」建設にともない調査中の桶川市楽中遺跡の現地見学会が催された。同遺跡は有名な熊野神社古墳の北東近くに在る。未だ調査途中であるが縄文時代と古墳時代の住居跡が複数検出され、古墳の石室の残存部がほぼ明らかになるなどの成果が示された。
第7号住居跡 非常に小型である。
第10号住居跡と第9号住居跡 こちら側の浅い部分の10号の後の時代に向こうの深い部分の9号がつくられた。中央左寄りには逆さに埋められた第1号埋甕が見える。
第6号住居跡 柱穴が無い住居跡。
第1号溝跡 近世の屋敷の境界溝ではないかとされる。
第3号住居跡 柱穴の位置が台形で炉跡が2箇所にある。
第2号住居跡 柱穴が浅い。左寄りに炉、右端に貯蔵穴がある
樋詰6号墳 正式には川田谷古墳群樋詰支群6号墳。7世紀の16mの円墳。削り残された下部のみが残存。
石室前部 砂岩の切石積みの複室構造。全体に小振りで狭そう。
奥壁から 現状では遺物無しだが、玄室底部の土の中に期待。
玄室付近 胴張りなど無く直線的な形状。
石材参考資料 比較のため、各種石材を展示していた。
住居跡出土品 左端は第5号住居跡のカマド中から出た土玉。
埼玉県さいたま市北区、農研機構生研センター内の塚 ― 2012年04月08日
さいたま市の旧大宮市の陸上自衛隊駐屯地の隣、昔は農業機械化研究所と呼ばれていた所。途中別の名前になったりして現在は独立行政法人農業・生物系特定産業技術研究機構の生物系特定産業技術研究支援センターという呼称になっている。
例年桜の季節になると一般公開が行われるのだが都合により今年は参加できなかった。別の日にそばを通りかかると敷地内の塚の藪が刈り払われて姿が見えるようになっていた。「市史」にこの敷地内に八百比丘尼の遺跡と言われる二つの塚があるとされる記事があるとの情報もあるが、正体は不明である。
東から。以前から存在は知っていたが墳丘の形が見えたのは初めて。
例年桜の季節になると一般公開が行われるのだが都合により今年は参加できなかった。別の日にそばを通りかかると敷地内の塚の藪が刈り払われて姿が見えるようになっていた。「市史」にこの敷地内に八百比丘尼の遺跡と言われる二つの塚があるとされる記事があるとの情報もあるが、正体は不明である。
東から。以前から存在は知っていたが墳丘の形が見えたのは初めて。
同じく東から少し寄った状態。古墳でもおかしくない。
これが昔の姿。当時は畜産関係の供養塚か何かと思っていたのだが。
埼玉県行田市、鉄砲山古墳現地説明会 ― 2012年02月19日
保存整備事業が進むさきたま古墳群の鉄砲山古墳群の発掘調査現地説明会が催行された。大きさは群中3番目であるがフツーの地味な古墳かと思いきや、掘って見たらやっぱり他に例のない特徴が見出された。
埴輪列の一部が発見された東側くびれ部のトレンチ。中央にミラーがあってそこに映っているのを見るようになっていたのだがあまり見えない。
埴輪列の一部が発見された東側くびれ部のトレンチ。中央にミラーがあってそこに映っているのを見るようになっていたのだがあまり見えない。
後円部北端付近のトレンチ。杭は昭和初期の文部省のもの。その上付近が今回この古墳のみに発見された墳裾に貼られた硬い粘土の部分。目的は不明とのこと。私見であるが、これは築造予定地を示すためにあらかじめ裾部だけ作っておいたものではないだろうか。とすれば奥の山古墳と接する部分が遠慮し合っているように見えることの説明になるかもしれない。
公園内の遊歩道にあったあまり役に立ってなさそうだった照明器具がトイレの脇のほうの目立たない所に片付けられていた。
公園内の案内板がいつの間にか新しいものに替えられていた。確か古いものは長年にわたって愛宕山古墳の向きが逆になっていたはずだが有耶無耶にされてしまったようだ。
これが証拠の旧案内板の図。誰にも指摘されなかったのだろうか。
現説後、資料館の企画展とリニューアルされた常設展示を見た後は近くの某食堂でフライやきそばで昼食。このお店にはかつてクロちゃんという看板犬がいたのだが数年前にお星さまに…。いわゆるハインドカラーのハスキーの血が入ったらしき子だがなぜか「クロ」ちゃんだった。
最近のコメント